99/10/9 ウエンブリー・スタジアム
11月の半ばにBBCラジオ4のビリー・ブラッグの番組にボウイさんがちょいと顔を出した。そのときの会話。
ブラッグ「ネットエイドのステージ、裏から見せてもらってました。凄くよかった、んだけど、ちょっと疑問があって、何であなただけあんなにたくさん演奏したのか、という・・・」
ボウイ「はははははー、いやまったく、確かに6曲演ったよ。(注:他の人は大抵4曲で、ブライアン・アダムス氏にいたっては3曲だった)それについちゃちょっとばかり罪悪感を感じてる」
ブラ「いやいや罪悪感だなんて、そんな責めたりしてるんじゃないですよー」
恐れながらボウイさんに申し上げたい。大丈夫です。罪悪感なんて感じる必要まったくないです。たとえ途中で一部の観客に煙草吸われてたりカールスバーグごくごく飲まれてたりしてたとしても、最後の「REBEL REBEL」のあのかっちょいいギター のイントロが聞こえてきた瞬間、まわりの人々が「はっ」と息を呑み、顔が「きゅっ」とステージに立つボウイさんの方を向いたのをわたしは見ました。まるで皆なにか見えない手につと触られたかのようでした。またある人々は、自分が煙草やボトルを持っていることを一瞬忘れてやったー!レベルレベルだ!という感じで手を振り上げ灰とかビールをまき散らしながら拍手してました。
この曲は凄い。何しろ必ずウケる。一度聞いたら忘れないメロディだしコードも4つ(くらい)しかないからすぐに一緒に歌える。ふと、でも、こういうポリティカリーコレクトなチャリティライブの場で演奏されるには歌詞がちょいとやばいんじゃないかとちらりと思ったが、もともとボウイさんはそういった政治的に正しい価値観の対極サイドを歩いているんだし、これでいいのだ。
んでやっぱり皆そういう対極にいる危ういデヴィッド・ボウイが大好きなのだ。自分より年下のアメリカの大統領が読みあげるシリアスなメッセージ(「人類は今かつてないほどの危機に直面していて云々、人間としての生きる権利が侵蝕される時代で云々」とか)が上映された後に出てきて、ニヤリと笑い長い髪をかきあげつつシリアスなチャリティという文脈の対極のような服装倒錯礼讃の歌を平気で歌うボウイさんを愛さずにはいられないのだ。何故ならみんなデヴィッド・ボウイが完全に「あっち」に行ってしまうことはなく、あちらとこちらの境界線に30年間踏みとどまり、そこで彼が見る光景を我々の言葉で伝えているんであって、そしてその言葉はいつでもこちらにさし出されているということを感じているからなのだ。
ザ・ワールド・アコーディング・トゥ・デヴィッド・ボウイは要するに「ここにいる僕はこんなふうに解放されているんだけど君も素晴らしい、さあ手を握らせてくれ、僕らは1日だけヒーローになれる、でも『奴ら』の言うことには耳を傾けるな、奴らは結局君に『そこから飛びおりろ』と命じるだけだ、そしていま人種のこととかいろいろ混乱してるけど大丈夫僕らはきっとうまくいく」というポジティブなメッセージにいつもいつもいつもいつも満ちている。そして人々はそのことに気づいている。けッメッセージなんてこの世紀末にもう恥ずかしくってやってらんないよ、てな聴き手が大勢いて、その連中を対象にしたマーケティングリサーチの結果のような歌い手が大量生産されている時代が進行中の現在ボウイさんのような存在はある種の宝石のように貴重だ。その夜「REBEL REBEL」のとき、わたしは大勢の人々がボウイさんのきらめきに屈するのを見ていた。
「REBEL REBEL」を演るときにボウイさんがいつもするしぐさがあって、それはもう様式美と言えるほどの美しい「お決まり」なんだけど、例えばコーラスのときに右足で空を蹴る癖とか、両手を腰に当て人を見下したようなしかめっ面で「君のドレスも顔もまったくひどいことになってる」のくだりを歌うとことか。それは実際に目にするのは初めてなのになんだかひどく懐かしい。夏の夜中のライブエイドでこの曲を一所懸命聞いていた中学生のわたしが着ていたパジャマの肌ざわりが蘇ってくるような気がする。そのうちふと、ボウイさんのマイクを握る手つきが昔っからの(それこそジギーのフィルムの頃からの)癖のまんまであることに気がついて、あーボウイさんの手だ、わたしはあれをよく知ってる、なんでかっつーとわたしが見るボウイさんはいつもテレビ越しだからいつもマイクを持ってるんだよ、わたしの記憶にあるどのボウイさんも必ずマイク付きなんだよな、でも30年の間この人は普通の人の100倍くらいの密度と速度で生きているけれど、このマイクの持ちかただけはずーっと変わらないんだよな、と思ったときわたしはほとんどその場で涙を流しそうになった。それは何故かということを説明するのはとても難しい。ふと仰ぎみると左側のスタンド(85年にダイアナ妃とチャールズとボウイとココが座っていたあたり)でてっぺんまで観客が立ち上がり「REBEL REBEL」のクライマックスに合わせ踊っているのが見えた。
その1週間後に出たNMEの記事。
NME「ネットエイドで一番『ロック』だったのは誰?」
あるロンドンの男の子「デヴィッド・ボウイ」
ところがこれだけだったら大変感動的なデヴィッド・ボウイのパフォーマンスだったんだけどそこにおまけがひとつついてて、しかもこれがいかにも1999年のボウイさんらしい話であって。
ショウが進行してステレオフォニックの出番が終わり、7時間ほとんど飲まず食わずで立ちっぱなしの観客は皆もうヨレヨレになっているけど次はロビーだ!ロビーと来てこの文脈なら最後の曲は絶対に「ミレニアム」で決まりだ!うおーロビーロビー早く出てきて「ミレニアム」を歌え!!というヤケクソのようなざわめきが高まるなか、ふとピッチ左側から違う種類の大歓声があがった。なんだろうと見てみるとステージ上手からロビー君を除く今までの出演者とプレゼンターがぞろぞろと出てくるところだった。
わたし「おおみんないるぞいるぞ!しかしいいのかこれで、わたしゃてっきりロビー君が最後『ミレニアム』を歌ってるときに全員出てきて大合唱大団円になるもんだと思っていたんだけど」
友人「やっぱりどっかでライブエイド以来のパターンを越えたいという意識が主催者側にあるんじゃないのか。特にあのときはポールのマイクの調子が悪くってブーイングの嵐だったから同じ危険はおかしたくないのかもしれん」
「そうかもなー、あとボウイさんあたりが『ポール・マッカートニーならともかくロビー・ウィリアムズの歌なんか歌いたくない』とかごねたのかもしれんな。ところでそのボウイさんはあの中にいる?見える?」
「えーと」
「えーと」
「あ、イマンがあそこにいるぞ。あのすごいタンポポ頭とオースティン・パワーズのような服はイマンだ。背高いなー」
「じゃ、今イマンをお買い上げになるともれなくボウイさんがついてきます状態だからその周辺にいるはず・・で・・あっ」
「いた」
「あれだ」
「着替えてきたんだな」
「素ん晴らしいー」
「黒のジャケットに真紅のサテンのシャツとは。あんな格好でこっちのクラブに行ったらあっという間にホモの人々の餌食になる」
「もうジノーラと間違えられたくなかったんじゃないかな」
「何だあれ、何してるんだ」
「・・・イマンが記念撮影してるよ」
「自分のカメラ持ってきたんだ。なんてマメな人だ」
「前でスピーチしてる人がいるってのにいいのか」
「ボウイがピースサインとかして写真に写ったらどうしようか」
「イエーイ!とか言って」
「そんなこと公衆の面前でやったら仕事干されるぞ。あ、あ、あれ見て見て、ボウイも何か写してる」
「わー!あれはいわゆるひとつのデジカメというテクノロジ器機ではないか」
「自分撮ってるイマン撮ってるよ」
「ローナン君写してるよ」
「すごい嬉しそうだよ。あ今度は手のばしてイマンと自分撮ってるよ」
「まわりに誰がいるのか確かめてるよ」
「・・・ねえ、これって誰かに似てるような気がして」
「え」
「だって夫婦で芸能活動してて服が妙に派手で嬉しそうに写真の撮りあいっこしてるっていったらさー」
「うわーっ!わかった!!でもそれを言ってはいけない!それは絶対口に出してはいけない!!」
「あの名前なんつったけ、ほら」
「うわー黙れ黙れ黙ってくださいお願いします!わたしが悪かった!!誠に遺憾につき今後は前向きに善処の方向で対処していく所存につき何卒よろしく御査収のうえ御高配のほどお願い申しあげる。このことはどうぞあなたの胸にしまっておいてあなた一人の美しい思い出としていてほしい」
幸い友人はそこで黙ってくれたのでよかった。もしまわりのイギリス人に「林家ペーとパー子」なんて言葉を聞かれた日にゃ大変なことになるところだった。
その2週間後の大衆紙「デイリー・ミラー」は栄誉ある「今週のワースト・ドレッサー・カップル」にボウイさんご夫妻を選んだ。
最後の曲は本当に『ミレニアム』で、おっそろしいほど盛りあがった結果観客は完全にトリップしてしまい、チューブのウェンブリー駅に向かいながら皆ずうっと口々にその歌を歌っていた。友人はジョージ・マイケルになりきりいやらしく踊りながら歩いていて電車に乗ってもまだ歌っていた。その後をついてまわりながらわたしは「ほらジョージ、次は君の出番だよマイクマイク」とライブエイドの最後のとこでジョージの世話を焼くボウイさんの役をやっていた。これから友人の家があるヘメル・ハムステッドまでの道中とそこについてからBBCが素早く編集し放映したつい数時間前のネットエイドの映像を見ながらまたひと騒ぎあったんだが、きりがないのでとりあえずここでおしまい。