London a go-go
99/12/2 アストリア
「He is pretty in pink!」 アストリアは今までのどんなボウイさんのギグとも違っていた。それはこれが「インターネット」というメディアが彼のキャリアに現われて以来初めてのギグだった、ということに関係があるんじゃないかと思う。 |
アストリアのドアが開くまで2時間しかないが、とりあえずわたしは今どーしよーもなく酔っぱらいたいのだ、と宣言し、となりのパブでいくちゃんとふたりしてビールをどんどん飲んだ。ボウイさんは酒をやめてるというのに何てことだ。すごく混んでいたが、そこで時間をつぶしているのはほとんどアストリア行きの人々である。(相変わらずボウイファンはボウイTシャツ着用率が非常に高い。)
我々もTシャツにジーンズ、ごついブーツという、こっちの貧乏大学生がロックを聴きに行くときの典型的服装に身を固めてきた。それでもわたしは少しだけこだわってみて、Tシャツはサウンド&ヴィジョン@東京の、ブーツは実はNYでボウイさんち(とわたしが見当をつけたマンション)の近くの靴屋で$35で買ったものだったりする(『ここの店員さんならきっとどれがボウイさんちか正確に知ってるよな、訊いちゃおうかな訊いちゃおうかなどうしようかな』と散々迷ったあげく結局訊けずにブーツを買ってしまったのだ。)まあこれならとりあえず身は安全だろう。
と思ってたわたしが全然アサハカだったということがいやというほどわかったんだが、それはもうちょっと後の話になる。
ビールのおかげで少し思い返す余裕ができてきて、「それにしてもヴァージンメガストアのボウイさん(https://cutslikeabowie.blogspot.com/p/blog-page_4.html参照)は素敵だったねえ」「髪さらさらでさあ」「手なんかあたしの手よりも綺麗でさあ」「男もああいうふうに『綺麗』でいられるんだねえ」「あたしこれまでボウイさんを散々冗談とかマンガのネタとかにしてきてほんと悪かったと思う」といくちゃんと語りあった。
そのうちいくちゃんがまわりを見回し、しみじみと言った。「みんなもうヴァージンで盛りあがって、ここにおる人あったまってるやん、これ本当に熱い人ばっかりなんやねえ、アストリアどんなんなるんだろ、熱くなりそうねえ」とつぶやいた。
そのとおりだった。アストリアのドアを一歩入るとそこはもう燃えていた。みんな行列のうちから足踏みして待っていて、チケットを切られると即座に駆けだしていた。わたしといくちゃんも、2階のバルコニーに行くともすけさんとエルモさんと別れ、「ストゥール」と呼ばれる1階フロアに入る。総キャパ1500の会場である。フロアは学校の教室ひとつぶんくらいの広さで、それを横にして片方の長辺のところにステージがある感じである。
我々はパブでだらだらビールなど飲んでいて少し出遅れてしまったので、最前列というわけにはいかず、ステージの正面から5メートルくらい離れた立ち位置を確保した。この、まわりにいるのが全員ボウイファン、という安心感は何回経験してもたまらなくいい。
そしてそれから2時間近く、ブラーとかステレオフォニックスとか流行りもんががんがんかかる中、我々はじっとステージ上の何もない空間を見つめて薄暗闇のなかに立ちつくしていた。最初「開場7時(サポートなし)」とチケットに書いてあるのを見たとき、「これはひょっとしてニューカッスル・リバーサイド状態(拙別稿参照)になるかもしれない」とイヤな予感がしたんだが、やっぱり「アタリ」だった。しかし、ボウイファンは我慢強い。待つのなんか平チャラである。みんななんだか満足そうに待っている。
ストゥールに立つ人々は既に「我々はここに居あわせることができるとても幸運な観客なのだ」ということをよく知っている。なにしろ、情報源がネットだけに限られていて、しかも詳細がなかなか明らかにならず、またなったらなったで熾烈なチケット争奪合戦があったのだ(わたしは90年に麹町の公衆電話からチケットぴあに半泣きで電話をかけつづけたことを思い出した。)その後に全国各地から涙無しにはとても読めないチケット奪取失敗話がたくさんTWに書いてあった。
こういう、困難を乗り越えて集まった観客がいるギグは誰のでも必ずいい。たどり着くだけで既にウォーミング・アップは済んでいる。
しかしヒマなので少し理屈を考える。
それにしてもどうしてインターネットなんだろう。
ボウイさんはどうしてネットにあんなに入れこんでいるのか。
1)とりあえずそういう「情報化時代」、とくにインターネット、の可能性と危険性、についてああだこうだ言うのがポストモダンな現代芸術界でここ5年くらいすごく流行している、という理由がある。
もちろんボウイさんはこの30年間ポップミュージック界きってのポストモダニストだからその流行に乗る資格は十分にある。ニューヨークという現代芸術ムーヴメントの源流のような街に住んでいてその空気を呼吸しているのだし、ボウイさんは、ご存知のように、環境にとっても染まりやすいカメレオン体質なのだ。それはとてもいいと思う。少なくともスイスの山の中で雪ダルマを作っているよりはよほどいい刺激になっているはずだ。
2)ボウイさんはムーヴメントの内側から変化を目撃している、という理由がある。
彼はコンピュータなどない時代からずっとポップミュージックに関わり世界中を見ている。ファンは世界中にばらまかれたようにいて、しかし孤立していたのをを見ている。自分の言葉がファンに届くのにものすごく時間と手間がかかったり、あるいはジャーナリストに適当に切り貼りされてしまって全然届いていないのを見ている。
ところがネットの登場とともにその時間差が限りなくゼロに近くなった。また自分の言葉がそのまま直接ファンに届くようになった(ボウイさんはジャーナリストと名のつく連中が一人残らず大っ嫌いだという話だ)。それから孤立していたファンがネット上で結束しはじめて新しい行動を起こすのを目のあたりに見ている。
ボウイさんにとっては、この変化は我々が想像する以上の衝撃であるはずだ。だからジェレミー・パクスマン(普通の人)は「あれはただの道具でしょう」と言い、ボウイ(内側の目撃者)は「いやそれは違う!」と言うのだ。
3)しかしもうひとつの可能性があったりする。実はボウイさんはただのコンピュータ・ギーク(おたく)なのかもしれない。インターネットはアディクティブで、中毒体質の人間はこれに弱い。そして本人も認めているとおりボウイさんは中毒体質なのだ!
そんなことを考えている間に2時間が経った。そしてついにばちりと照明が落ちた。わっと大歓声が上がる。これから起こることを客観的に記憶したいので、かちりと頭の中のビデオのスイッチを入れる。実はわたしは、ボウイさんに対する自分の視点が大変ひねくれているのではないかという恐怖感におびえているのだ。というのはそう実際に言われたことがあるからなんだけど。ここでは関係ないので触れないが、そう言ったのはCBSソニー出版ポップギア編集部の市川さんである。ポップギアが廃刊になった後どこでどうなさっているのやら.......
「C'mon DAVID!! WILL YA!」と既にできあがっている後ろの兄ちゃんのひとりが耳もとで怒鳴ったのでトラウマな思い出から覚めた(しかし何故わたしはどこに行っても、酔っぱらった兄ちゃん団体に後ろに立たれることになるのだろうか。)
そこにいる1500の人間がすべて「あと少しでデヴィッド・ボウイが目の前に現われるのだ」ということを考えている瞬間である。わたしはこの数十秒間が気が遠くなるほど好きだ。
マイク・ガーソンが現われキーボードの前に座る。そしてあの、「LIFE ON MARS?」の、4度キーの下がったハ長調の和音を弾きはじめた。「ボウイ、ボウイ、ボウイイイー!」の声がアストリアを揺るがしている。そこにボウイさんが左手の陰から現われた。目に鮮やかなピンクのセーターである。数日前NMEのパリ公演レビューで絶賛されていた、セーター姿・オン・ステージである(このときは青セーターだったらしい)。わたしは思わずサイケデリック・ファーズのメロディで「ヒー・イズ・プリティ・イン・ピンク!」と叫んでしまう。
ライフ・オン・マーズを聞きながら思い出した。3年前、NASAが「火星にバクテリアがいた形跡を発見した」と発表しジャーナリズムが騒然としていた夏、わたしはバックパックをかついで英国内びんぼう旅行に出ていた。だからそのニュースを知らずにいた。で、南端ペンザンスにたどり着いたある日、水を買おうと雑貨屋に入った。何かを感じてふと見上げた。するといろんな新聞が一面を上にして壁の棚に並んでいたんだが、そのすべてに「Life On Mars?」「Life On Mars?」「Is There Life On Mars?」の特大の文字が踊っていた。新聞がボウイの言葉を大声でしゃべっている。まるで白昼夢のようだった。ついに現実がボウイの芸術を模倣したと思った。
その後カンタベリーに着いたときは日曜日だったので、カンタベリー大聖堂の礼拝に行った(実はわたくしは堕落してはいるがクリスチャンなのだ。)大聖堂はそれはそれは荘厳なゴシック建築で、尖塔は夏の青空を高くかすめていて、ステンドグラスは壮麗で、そこらの彫刻にけつまづいてみたらそれが500年前のものだった、なんてところである。
礼拝が始まると白装束の人々が大勢一列になって、蝋燭を捧げ持つ紅顔の美少年聖歌隊とともに現われた。何もかも厳粛にとり行なわれ、聖書が朗読され、美少年聖歌隊の天使の歌声が聖堂の中に響きわたり、そのすべての雰囲気にわたしはウットリしていた。そして司教様が登場した。ここは英国国教の総本山で、つまり世界中の英国国教関係の総本山の教会だから、そこの司教はカトリシズムにおけるローマ法王のような地位にいることになる。そんな司教様がこれまた壮麗な彫刻を施した説教段にのぼり、なみいる信者をひと眺めして威圧感を放出したあと、説教をはじめた:
「25年前、デヴィッド・ボウイは『火星に生命はいるのだろうか (Is there life on Mars)?』と人々に問いました。皆さん、今その答えは出たようです。『イエス』です。世間では、ついに科学が聖書の教えを覆したと言っています。しかし、我々はそのような言葉に迷い、信仰を揺るがせてはいけません・・・」
最初の1行を聞いたとき、椅子から落ちた。堕落していない真面目な信者の人々が何人か振りかえったが、『うひゃー!』とか叫び出さなかっただけマシだと思う。カンタベリー大聖堂が建てられて以来800年の歴史の中で、司教様に名前を言及され歌詞を引用されたポップスターってのは、歌手多しといえどおそらくデヴィッド・ボウイだけだろう。
このように既に一般で使われるクリシェとなってしまっているフレーズ「火星に生命体はいるのだろうか?」という問いがアストリアを満たす。一曲目がLIFE ON MARS? だというのは、ネットエイドもそうだったし予想はついていたが、こういう100%のコアボウイファンに囲まれ右左に揺すられ「That Mickey Mouse has grown up a cow!!!」と歌いながら聞くほうが1万倍いい。
フロアから長い長い拍手が起こると、ボウイさんは後ろを指さし「どうもありがとう。キーボードはマイク・ガーソン」と紹介した。そしてもう一度こちらを向いて、我々の方に目をひたと据えながら、一語一語区切ってゆっくりと、「ここに来てくれて嬉しい、またここで会えてとても、とても、嬉しい。」と言いにこりと笑った。このボウイさんの「ナイス・トゥ・ミート・ユー」を聞いて、わたしは痺れた。
彼は今回意外なほどよくしゃべる。たとえば「Word On A Wing」が終わりわあわあ拍手していると、突然「みんなあそこを見てみろ!」と上を指さす。フロアの皆が仰ぎ見ると、「見ろ、あのバルコニーの連中にゃ執事がついてるぞ!」と決めつける。フロアがそれを受けてブーイングするとその指を下に向け続けて、「そして下の連中はラリってるぞ!」とニヤリとする。皆げらげら笑った。
しかしそのバルコニーには実はそーそーたるメンバーが座っていたという。まずミックとジェリー・ホール。離婚してからかえって仲がよくなったんだそうだ。妙なカップルだ。実はネットエイドのステージ裏にも来ていたらしい。それからゲイリー・ニューマン、そしてピート・タウンゼンドもいたらしい。(しかし、これをある筋から聞いたときは「うわー大ニュース、特ダネだー」と思ったんだが、後でボウイネットにそのメンツの集合写真がちゃんと載っていて、ちっ秘密でも何でもなかったのか、とちょっとくやしくなった。)
ボウイさんをひそかに心のダディと呼んでいて、ダディのライブは13のときからひとつも見のがしていないというボーイ・ジョージ君は、どうやらVIPテーブルを取りそこねたらしくそこにはいなかった(後で、2階の右端の方に立ってステージを見下ろしているのをみつけた。あの帽子でわかった。)
ジョージ君は本当に健気なボウイファンで、ネットエイドもきちんとチケットを買って見に行ったそうだ。そして翌週、彼が連載している新聞のコラムで「ジョージ・マイケルもよかったけどやっぱデヴィッド・ボウイが珠玉(「GEM」)だった。ボウイが出なかったら僕はウェンブリーまで行こうとは思わなかっただろう。でも、本当は僕もステージで歌いたかったんだけどなあ」と書いていた。
ボウイファンをトリップさすにはクスリはいらない。ただライブでライフ・オン・マーズをマイク・ガーソンのピアノで聞かせりゃよい。少なくともわたしのまわりでは誰もクスリはやってなかったようだが、フロアはすでに陶然と溶けていて、皆ボウイさんの一言一言によく笑いよく叫び返す。わたしも笑いながら、何故ボウイさんがステージでしゃべると「意外だ」と思うんだろう、と考えた。
考えがまとまらないうちに、2度キーの下がった「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」が始まった。しかし1番のコーラスの手前のところで突如2番の歌詞になった。一緒に歌っていたフロアは一瞬黙り、それからボウイさんに合わせ2番に素早く切りかえる。みんななんてよくできたファンなんだ。このときわたしは、ああまたボウイさんが歌詞をお間違えになった、と思ったんだが、しかしその2日後に放映されたジュールス・ホランドの番組に出たボウイさんは、やはり「アッシェズ」を歌いそして同じように1番のコーラス前を2番の歌詞で歌っていた。(2番にはもう一度2番の歌詞が出てきた。)どうしてだろう。ちなみにとばされた1番の箇所はここである:
The shrieking of nothing is killing
Just pictures of Jap girls in synthesis and I
Ain't got no money and I ain't got no hair
But I'm hoping to kick but the planet it's glowing
考えられる理由その1)。
何か深い演出上の事情。でもそれが何のためかはよくわからない。
その2)。
ある日「ぼくはアッシェズ・トゥ・アッシェズの1番が突然嫌いになった。よって今回のツアーとその関連仕事ではかわりに2番を歌う。理由は特にない。文句あるか」と言ってそれを実行している。
その3)。
ただ単に歌詞を忘れて間違えている。しかも間違えたことも忘れてしまい、同じ間違いを何回もくり返している。
最近ボウイさんがアメリカの雑誌のインタビューで「昔ドラッグをやりすぎたせいで記憶がスイスチーズみたいになってしまってる」と発言したことがやや話題を呼び、こっちで一般の新聞の社会面に「ボウイ記憶がチーズだと語る」と小さく載っていた。見つけたときは驚いた。しかしこの言葉はふた通りの解釈が可能で、原文は、
'The rock icon David Bowie has disclosed that his memory is like "Swiss cheese" after his 70s drug use'
なんだがこれは、
1)「昔の記憶が欠落していてチーズみたいに穴が開いている」
のか、あるいは、
2)「昔のドラッグの影響で今の記憶機能がチーズのようになっている」
のか、いまいちはっきりしない。2)じゃないといいんだがな、まさかな、やめようよそういう想像、と、そのときまだジュールス・ホランドの番組を見ていなかったわたしは自分に言いきかせながらとりあえず2番を歌っていた。
「アッシェズ」が終わったあとボウイさんはまた話しはじめる。「知ってる? こないだの日曜はノディ・ホルダーの誕生日だったんだけど。彼は50になったんだって。ワオ、ノディが50だって!(一拍おいて驚いて)おっと、ぼくはノディより年上だったんだ、はは(客大笑い、拍手)」このノディ・ホルダーが年下だった件はよほど印象的だったらしく、この後収録されたBBCラジオ2のインタビューでも、ティム・スミスに同じ調子でもう一度くり返し話して聞かせていた。
「次は60年代の、『デヴィッド・ボウイ』として初めてレコーディングした曲。でももちろん歌も演奏もあのころとは全然違う!」と何だか嬉しそうに前おきして、ボウイさんは「Can't Help Thinking About Me」を歌った。大騒ぎするフロアに向かって照れたように、「ありがとう、でも、これにまともな歌詞がくっついてると思われちゃちょっと困る」 と笑う。
しかしわたしは、この19才のデヴィッド・ボウイが書いた歌詞が、まるで「ムーヴ・オン」みたいだと深く感動した。60年代のボウイさんはあまり興味がなかったんだが、帰ったら早速パイ・レコードのコンピレーション(買ったっきり実は封も切っていない)を聞こうと決めた。