London a go-go
99/12/2 アストリア
ところで、今回ボウイさんは譜面台をステージに置いていて、時々それをめくって見て歌っている。フロアの我々は開演前からそれがとっても気になっていたんだが、ここに来てついに最前列の誰かが譜面のことを何か言ったらしい。ボウイさんは余裕で「ああこれにはね、ここにいるみんなの名前が書いてあるんだ」とひらりと冗談でかわしてしまう。するとフロア前列から「おう俺はギャズだ!俺の名前そこにあるか?」と声が上がった。「ああ素敵なマンチェスターアクセントだな。(ギャズ氏『違う!ニューカッスルだ!』)え、そう、ニューカッスルだったのか!」とボウイさんは驚きのニュアンスをこめて応えた。思わず「こっちこっち、ここの日本人もニューカッスルだよおー!」と力いっぱいジャンプしつつ大声で叫んでしまった。
(しかし、世界中隅々、あらゆるところを30年間旅してまわっているデヴィッド・ボウイに驚かれてしまうニューカッスルって一体....)
作られて以来ライヴで初めて演奏されるという「Always Crashing In The Same Car」の、あの最後の情けなーい「Yeah-yeah-yeahh-hhh」を歌い終わったところで、ボウイさんはティッシュを取りだし「ちょっと失礼、ずっと風邪ひいてて.....」と言いながら鼻をかむ。「あー、人前で鼻かむー、やっぱイギリス人だねえ」といくちゃんとうなずき合った。前列からいくつも上がった手に「そのティッシュちょうだーい!」とねだられたボウイさんは「え、これ?いらないだろこんなもの」と苦笑している。結局それはきちんと後ろの方に放り捨てられた。でもそれで安心した。というのは、ときどき鼻かんだティッシュとかハンカチを、丸めて袖にしまうイギリス人がいるのだ。ボウイさんにまでそんなことされたらちょっとこの国に住むのがキツくなってたかもしれん。
しかしこういう応答がすぱっと切れ味よく飛びかう。ステージとフロアのコミュニケーションが双方向で、両方ともそれをすごく楽しんでいる。アースリング・ツアーのボウイさんにも「ぼくは君たちと同じ種類の人間だ」という強烈なアピール力があったが、今回はさらに一段階進んで「親近感」みたいなものを感じる。
親近感。
かつて5万10万という単位で観客を集め世界中でスタジアムを満員にしていたメガ・スターがいたとして、でその人が10年後に小さなクラブを回っていたら、それは普通、控えめに言って、かなりやばい状況だろう。
で、ボウイさんに関し、世間にはいまだに昔のイメージが残っている。
例えばBBC2に「ステラ・ストリート」という実写版8ビート・ギャグみたいなコメディ番組があるのだが、そこに出てくる偽ボウイさんはシリアス・ムーンライトのスーツを着ている(余談だが、ボウイ役の役者さんはお世辞にもハンサムとは言い難いんだが、しぐさとしゃべり方が信じられないくらいそっくりである。毎週楽しく見ている。)そういうスタジアム・ロック・スターのデヴィッド・ボウイには、実は我々はもう何年も会っていないにもかかわらず、である。
ポップ・ミュージック界には何となく「会場のでかさのインフレ」みたいなものがあると思う。ヴェニューはキャリアが進むにつれ大きくなっていかなければいけないもの、というふうに了解されているような気がする。確か85年頃U2が「ベストヒットUSA」に出たとき、ジ・エッジが鋭い観察をしていた:
「あるミュージシャンがいて、そいつが人気が出はじめるんだ、んですごい勢いでアルバムが売れて、ファンがどんどん増えて、客が来たがるから会場もどんどんどんどんでっかくなって行くんだよ。ところが、ある一線を越えると突然ファンは『ああ、あの人は雲の上に行ってしまった、もういいや』って厭きちゃって、別の人んとこ行っちゃう。結局それのくり返しなんだよ」
ボウイさんの場合どうも「本人」が厭きちゃったんじゃないかという気がする。
それにもともとボウイさんの曲は「アイラブユー!アイニージュー!イエイイエイイエイ」とか、10万人で一斉に明るく騒ぐ類のものではあんまりない。どちらかというと、それは差し向いで身の上話を聞かされているような、時々痛いまでに個人的なさけびである。
そういう世界を展開するボウイさんが、ネットのコミュニケーションでひとりひとりにつながる。
サイト上でボウイさんは直接語りかける。
ファンはフィードバックを直接ボウイさんに届ける。
それは友達にメールを書くのと全く変わらない作業で、友達のレベルにボウイさんのアドレスも並ぶことになる。
その結果、「我々はボウイの友達だ」という新しく、かつ特権のような、センス・オブ・コミュニティが我々の中に育ち始めている。
かつてないほどスムーズなステージとフロアのコミュニケーションのまっただ中で、わたしは(最近ボウイさんがよく言う)「インターネットによる新しい形のコミュニティ」が形成されているのを目のあたりにしたような気がした。
しかしそういうふうに悠長に考えていられたのはそのへんまでだった。「ドライブ・インの土曜日」が始まったとき、何かがはじけて、フロア前方の客が急に狂った。まるで、1インチでもボウイの近くにいたいと全員がいちどきに決意したかのように、突然みなステージにすごい力で押し寄せ始めた。肺から空気がぎゅうぎゅう絞りだされ、わたしはほとんど気が遠くなりかけた。ボウイさんのも含めクラブのギグはかなり行ったが、あれほど凄まじいモッシュは初めてだった。正気を保っていられたのはひとえに「死ぬなあ、生きのびろアタシ、ここで死んだらアンコールを見逃す!」と叫び続けていたからにほかならない(しかしちらりと「ボウイさんを見ながら死んじゃうってのもそれほど悪かないなあ」とも思った。)
けれど、そのモッシュの波に押し出されステージとの距離が詰まった。気がつくと、わたしは、人の隙間から手をのばせばステージの端に触れるくらいのところで、斜めに傾きながらボウイさんを見あげている。ボウイさんがくわえているタバコが香ってくるほどの距離である。
そこで「ステイ」を聞いた。これは非のうちどころがない、世界一ぶっ早くてゴージャスでグラマラスな曲だ。わたしはボウイさんがほんの「そこ」に立ち、絞りだすように「行かないでくれ/ここにいてくれ」と懇願するのを聞いた。
ボウイさんは地球上でただひとりの、『ステージ上でピンクを着てクールに見える52才男』である。ステージ近くは熱気が渦巻き、人々の吐息は水蒸気になって漂い、彼の額には汗が流れている。
それを見たとき、「ああなんてこった」とわたしは思った。彼はまさに「ジェム」だ。今わかった。「神様、我々にデヴィッド・ボウイをお与えくださり、感謝いたします」というアニー・レノックスの言葉を思いだした。今まで芸術稼業をやってた人が何人いたか知らないが、デヴィッド・ボウイのような人間は完全に彼一人なのだ。こういう新しいことをしたらどうなるのかちょっとほかの誰かに訊いてみよう、という訳にはいかないのだ。この人の行く手は荒野だ。そして彼は荒野を目指している。
「レベル・レベル」まで1時間くらいだったと思う。ボウイさんが手を振り立ち去ってしまうのを見て、「うわー、こんなんで終わりにしないでくれ!」とほとんどパニックに陥りかけた。
確かにネットはすごい。1999年現在、いろんなサイトのおかげで情報がすばやく届いて、ボウイネットでは本人のメッセージもどんどんアップデートされていて、メールを書くのも簡単で、運がよければチャットもできる。ボウイ的環境は以前に比べ数倍密度が濃くなっている。それはそれで幸せだ。
しかし、いくらネットで距離が近くなろうともわたしたちは本物に、ボウイさん、あなたに会いたいのだ!そんな「理論の中にのみ存在する」あなたじゃ満足できないのだ!!だからこうやって痛いほど拍手し続けて、枯れた声で名前を呼び続けるのだ!!
やがて左手からバンドがステージに戻ってきた。ボウイさんもその後からもう一度現われた。大拍手大歓声に応え手をちょっと上げてマイクを握る。
「このショウは最後のショウになる・・・」
全員息をのむ:
「・・・(ニヤリ)このツアーで。そしてこの20世紀で。」
後ろに立ってたおじさんが「違うだろぉー!!」と叫んだがボウイさんに聞こえたんだろうか。
しかしそのおじさんも、アンコールの4曲はとても至福なひとときだったことを認めるんじゃないかと思う。「気のふれた男優」の途中で熱くなった彼はついに理性を見失い、目の前の日本人女(つまりわたし)に後ろからがば、と抱きつき、「うあー、ボウイー、チキショウ、えーいコノヤロウいいぞいいぞボウイボウイー」とウワゴトのようにくり返していた。しまいにはその日本人の髪に両手をつっこみぐしゃぐしゃにかき回していた。(日本人は腹も立てずに落ちつきはらってその前の兄ちゃんに同じことをした。)
ボウイさんが「次がお別れの曲になる」と宣言したとき、フロアがどん、と沈みこんだ。温度が下がったのがわかるような気がした。ボウイさんは続けて言った。
「だけどこの後もずっと覚えておいて欲しいことがある」ゆっくりと、「『ぼくは、アメリカ人が、恐い』(I'm Afraid of Americans)。」
そして「God is an American/ God is an American」がくり返されているとき、ボウイさんの目がちょっと恐い色に変わった。そして5秒間、「アメリカ兵の少年が敬礼している、敬われるのはアメリカ人の神である」という情景を一発マイムで表現した。ほんの少しの手と顔の動きだったがそれははっきりとわかった。下手な映画1本分くらいのヴィジュアルなイメージが凝縮されていた。
その何日かあと、ある新聞に「ロンドン・ボーイ、ロンドンに帰る」というヘッドラインの記事を見つけた。デヴィッド・ボウイが4半世紀ぶりにこの国に帰ってくる、ということを伝えていた。それを読んだとき、わたしはボウイさんが「ぼくはアメリカ人が恐い」と言った口調と、「God is an American」の目の色を思いだした。
アストリアの出口のところで、テープレコーダーを担いだお兄さんがぞろぞろと出てくる人々にマイクをつきつけ「ライヴどうでした?どう思いましたか?」と訊ねている。女の子が「ああもう最っ高、人生最良の日よお!」力強く答えていた(これは後で『Q』のライブレビューがわりのインタビューだったということがわかった。)
ただひとつ残念なのは、夜行バスの時間まで30分しかなく、ライヴが終わったら即座にヴィクトリア駅まで猛烈に駆けどおしに駆けていかなければならなかったことだ。「だからあ、わたしはあ、今日一日素ん晴らしい体験したのにい、なんで最後がこんなんなってしまうのだあああ(ぜいぜいぜい)」と夜のロンドンをばたばた走りながら叫んだ。ともすけさんは結局ランカスター行きの最終バスに間に合わず、我々と一緒にニューカッスルに来てそこから電車で帰って行った。
そんなふうに慌ただしかったからそのときは気がつかなかったんだが、この日の一連の体験はわたしの人生の一大事だったのだ。そのショックはボディブローのように後からやってきた。そのあと何日間か、「ボウイさんと話をしてそのあともんのすごくいいライヴを目撃してしまった」という瞬間にとらわれ続け、日常生活に戻るのに少し時間がかかった。実はそれはまだ少しむずかしい。でもそんなときこう思う。わたしはこの国に住むことができて、ボウイファンとしてすごくいい体験をさせて貰ってる、特にこのロンドンの1日はわたしの歴史に金色の文字で書かれていいと思う。その金色の影響がこの後どんなふうに現れてくるのか楽しみだ。「あああのときロンドンまで行ったのはやっぱり正しかったねえ」と人生が終わる直前に思いだしたいのだ。大げさなようだがわたしは今まじめにそう願っている。
セットリスト:
1.Life On Mars?
2.Word On A Wing
3.Thursday's Child
4.Ashes To Ashes
5.Survive
6.Can't Help Thinking About Me
7.China Girl
8.Always Crashing In The Same Car
9.Something In The Air
10.Drive In Saturday
11.Stay
12.Seven
13.Changes
14.Rebel Rebel
Encore
15.Repetition
16.The Pretty Things Are Going To Hell
17.Cracked Actor
18.I'm Afraid Of Americans
デヴィッド・ボウイ: ヴォーカル&アコースティックギター
ペイジ・"ヘルメット"・ハミルトン: ギター
ゲイル・アン-ドーシー: ベース
マーク・プラティ: サイドギター
マイク・ガーソン: キーボード
スターリング・キャンベル: ドラム&パーカッション
ホリー・パーマー&エマ・グリナー: バッキングヴォーカル
YAGI節追記:当時チャリング・クロスロードにあったアストリア、2009年に取り壊されてしまったようです。