99/12/2 ヴァージン・メガストア
デヴィッド・ボウイがつくねんとそこに座り茶色のサングラスのむこうからこちらを見あげていた。
黒のパーカーの肩の線が信じられないくらい細かった。
「H-hullo David, how are you?」
「Very well, thank you!」
(ちきしょう、デヴィッド・ボウイだぞ、デヴィッド・ボウイがわたしの目の前にいて、わたしは4月1日のNHK基礎英語のようなことをしゃべっている)
「It's very, very, very nice to see you here in London again - Went to see the NetAid the other day, it was lovely and you were absolutely cool」
「Did you? Thank you」
(うわー「クール」とか言ってんじゃねえよアタシ!それは「超」と同じくらい恥ずかしいぞ落ち着け落ち着くのだ)
「Oooh, --- that book is ----, wow, oh yeah I know, I know this book! It's SUKITA-SAN's! SUKITA-SAAAN! 」
(うひょー、ボウイさんの日本語ー)
「I find it great and love it a lot ... Er, I hear he's doing fine in Japan, filming some stuff, my friend in Japan is his friend, and she says he's alright」
「Really? A-ha, this is such a ... whoops what's this?」
「Er, it's a little pressy for you」
「Well?」
「This is sort of your mag that I published in 1994」
「Oh it's ... aha I'm on the cover. And is this for me?」
「Yes it is, of course, I made it for you. I hope you'll enjoy reading it, it's in Japanese though」
「Oh, 's lovely, thank you, thanks very much 」
「That's my pleasure」
「Ok then, where can I sign for you? On this page?」
「Yeah, over there, please」
「And what's your name then?」
「Aki, A-K-I, Aki」
「Alrr-rrr-right ..... A-K-I, Aki, there you go」
「Wow, it's...... it is ........ 's great, 's cool, thank you, thank you so much」
「my pleasure」
(しまった、また「クール」と言ってしまった)
「You know it means a lot to me, I'm very very impressed, 's been very very very nice seeing you here」
「Oh, thanks」
(ちくしょうこういうときさらりと「キャナイキスユー?」て訊けなくてくやしいぞ。日本人なんかに生まれるんじゃなかった。やっぱり握手どまりか)
「I dunno what to say, anyway thank you so much, I'm real pleased, 's been very, very, very lovely meeting you David, d'you know what I mean 」
「Yeah, it's ok, thank you!」
「スキタサーン!」のあたりで実はわたしは壊れていた。最後の方は我ながら情けないほどバカだった。何回「very」を繰り返したかということについてはもうあまり思い出したくない。誰か数えてくれ。
しかしそーゆーわたしのことはまあどうでもいいとして。
デヴィッド・ボウイが地に満ちる人類の中でも美的基準から言って相当上位に分類され得ることは皆様よーくご存知のこととは思う。わたしもそう思って、よく知っている、つもりだった。
しかしこの会話の間中わたしは彼の顔から目が離せなかった。
なんて綺麗な男なんだろう。
顔そのものというより、香りのように立ちのぼってくる全体の印象が綺麗なのだ。サングラスに隠れた目とか「ひゅっ」と長い首とか薬指にリングのはまった手とかの、つくりがひとつひとつ繊細なのだ。でもラフに切り揃えられた髪とかパーカーとTシャツという服装とかしゃべるとききらりと笑う癖とかがとても無防備なのだ。こんなに無造作に魅力的な人は見たことがない。すべてが透き通るように調和していてなんだか胸が痛くなる。
この男が52でもうじき53? FORGET IT。冗談じゃない。神々はこの人をお創りになってそして忘れてしまったというのはたぶん本当だ。御手からこぼれ落ち時間に引き立てられる人々の列からこぼれ落ちて忘れられた瞬間の姿をこの人はいまだに記憶にとどめているのだ。
その印象は「VULNERABLE」だった。
英和辞典に載っているほかにこの言葉にはちょっと複雑な意味がある。たとえばある土地が開発されそこにある桜並木がもうすぐ伐採されるという話を聞いたので見に行ってみたとする。いま春爛漫で見渡すかぎり見事な桜の花が咲いていて、おりしも風がおこり一陣の桜吹雪が舞い心を奪われる、でもあなたはこれは今年限りなんだということをふと思い出す、そのときあなたはその光景を「VULNERABLE」だと感じる。また仮にあなたに3才くらいの子供がいたとして、ある夜残業でヨレヨレに疲れて帰ってきて、今日あった嫌なことを忘れようとその子の寝顔を眺めていたら楽しい夢を見てるらしく眠りながらにこっと微笑んだ、その時にあなたはその子が「VULNERABLE」だと思う。
デヴィッド・ボウイを間近に見たとき、ああなんてVULNERABLEな人だと思った、それはとても意外な感情だった。
セキュリティのおじさんたちがいくら追い払っても、柵の外側にはまたすぐに、今会ったデヴィッド・ボウイを憶えておこうという人々が何人も何人も集まってきて奥の方をじっと見ている。実際には人垣に隠れて見えはしないのにそれでも見つめている。
わたしは生テープを買おうと2階にあがった。レジで順番を待っているとき、「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」の録音風景が壁いっぱいに並んだモニターに映っていることに気がついた。
「ああボウイさんがかかっている、ミックもいる。このビデオは何回も見たけど、わたしは今この人を実際に見たんだ」
と思った瞬間、手が3センチの幅で震え出し、握っていた小銭が床に落ちた。それが治まるまでに少し時間がかかった。
その後わたしといくちゃんはヴァージンの隣のパブに行きビールをぐいぐい飲んだ。
(『ヴァージン編』おしまい。『アストリア編』に続く)