99/10/9 ウエンブリー・スタジアム
中学生の頃眠たい頭を叱咤激励しながら地球の反対側から中継されてくるライブ・エイドのボウイさんをフジテレビで見ていた。そのとき、地球上のある一部の人々はこれを同じ時間帯で経験していて、その一部はこのスタジアムにいて、そしてその中の何人かはステージのすぐ前にいるわけだ、が、この幸運な人々は一体どこのどいつだろうと思っていたものだった。
14年後の秋の同じ場所でのネット・エイドのとき、わたしはステージの前にいて、ボウイさんを見ていた。人生ってどうなるのかまったくわからんもんだ。
10月9日の朝11時頃ウエンブリー・スタジアムに着くと、開場まで後4時間あるというのにもうぼちぼち行列ができはじめていた。我々もFゲートの階段に座りこみ開門を待つことにした。一息ついて持参のサンドイッチをかじっているときわたしの手がふと止まった。何かがココロに引っかかってきたんだが最初はそれが何なのかよくわからなかった。3秒後に、ゲートの向こうからこぼれてきて空気中に漂っている音が耳から入りこみ頭の中で形になった。「チャイナ・ガール」だった。中でボウイさんがリハーサルで歌っていたのだ。
通り過ぎる人々ウォッチングをしていたら面白いことに気がついた。時々ボウイTシャツを着ている人がいる。アースリングが2人、ネイサン・アドラーがひとり、サウンド・アンド・ヴィジョンが2人(含わたし)、などなど。しかしほかの例えばジョージとかロビーとかのTシャツを着て歩いている人は誰もいないのだ。
時々ラウドスピーカーで「皆さんおはようございます。いいお天気になりそうでよかったですね。開場までまだまだ時間はたくさんあるのでどうぞリラックスしててください。その間に今日のラインナップと出演予定時間をお知らせします」とアナウンスが入る。「最初はユーリズミックス、4時5分。カタトニア、4時35分」と続き「・・・ジョージ・マイケル、6時5分ごろ・・・」と言ったとき「Yeahhhhーーー!!!」と大拍手が起こり、「・・・デヴィッド・ボウイ、8時5分・・・」で普通の拍手になり、「ブライアン・アダムス、8時40分・・・」でまた「Yeahhhhーーー!!!」とにぎやかになり、「最後のロビー・ウィリアムズはだいたい10時頃の予定です」続いた瞬間「Yeeeaahhhーーー!!Whoooooーーーー!!!」と足踏みつきの大喝采になる。ボウイファンとしてはちょっと妬けてしまうんだが、それにしてもアナウンスに対する反応を見るかぎりジョージ・マイケルやロビー君のファンはものすごく大勢いるようなのに、「わたくしはこの人のファンなのでこの人を見にきたのでございます」と主張せんばかりにTシャツを着ているのはボウイファンだけなのである。要するに我々はワイルド・サイドを歩いているんだよなあ、と90年に東京ドームで買った自分のTシャツを見おろしながら思った。
3時に開場した。「絶対に、じぇーったいに、走らないでくださいっ!」のアナウンスが流れる中みんな競歩選手の姿勢で前方に押し寄せていった。わたしは、最前列とはいかなかったがステージ正面から15メートルくらいのわりといい立ち位地を確保した。しかし、まわりの人と肩が触れ合うくらいの感じだし後から後からどんどん人が詰めてくるし、「ちょっと疲れたので休憩します」と座りこむわけにはいかない。それに一旦スタンドのトイレとかに行ったりしたら最後同じ場所にはまず戻ってこれないだろう。「こりゃー、ハードな戦いになりそうだなあ」と、ロビー君が10時に出るというアナウンスを思い出しながら思った。(そしてそのとーりだった。)
5時、ウェンブリーのマネージャーだと名乗る人がステージに現われ、
「レディースアンドジェントルメン!お待たせしました!みんな先は長いけど元気ですかー!
(イエーーー!!)
ここの映像はもうすぐニューヨークの会場にも中継されますー!アメリカ人にロンドンの気合いを見せてやろーじゃないですか!
(イエエーーーー!!!)
アメリカだけじゃありません、全世界がネットを通じて君たちのことを見ている!ついでに今日の午後のラグビーワールドカップでイングランドが勝ったぞーーっ!
(イエエーーーース!!うぉーー!!大拍手!!!)
さー、いよいよ最初のアーティストの登場です!そしてそのプレゼンターをご紹介します!世界でもっともゴージャスな女性のひとり、イ(ぶちっ。)」
音が切れた。マネージャー氏は気づかず振り返りにこやかに袖に向かって手招きしている。「何だなんだ」「どうしたんだ」「聞こえねーぞ!」と皆ざわざわしていると、昔ソウル・トレインでスティービー・ワンダーの後ろで踊っていた女の子のようなファッションにタンポポみたいなカーリーヘアをのっけた非常に美しい、鋼のような身体つきの黒人の女性が、グレーのセーター姿の長髪の白人の男性を伴い登場した。またまわりがひとしきりざわざわする。「え」「イ、つったよな」「イマンだよありゃ」「そうだイマンだ」「イマンって誰だ」「デヴィッド・ボウイの奥さんだよ」「つーことは」「あの男ボウイじゃないか」「そうだあの髪はボウイだよ」「わー!」「きゃー!」「イマーン!」「デイヴィッドーーー!!」「おー!ボウイさーーーん!」と最後のこれはわたしなんだがその声が聞こえないくらいの大歓声があがった。しかしまだマイクがつながっておらずイマンは何かしきりにしゃべっているのだが音が聞こえない。そのうち袖からバックステージパスをぶらさげたおじさんが慌てて駆け寄り別のマイクをイマンとその男性に手渡した。
「ハーロー!」イマンの声が初めて通った。また歓声があがった。が、その男性の方は苦笑いしつつ妙なアクセントで「ハハハ、こんにちは、デヴィッドですー。でも君たちのデヴィッドじゃないんだねぇ」と言った。何だ、どういうことだ、誰だよあれ、とざわめいているとイマンが「ご紹介します。デイヴィッドです!...... でもわたしのデイヴィッドではなく、デイヴィッド・ジノーラです!」
ジノーラ氏とは、フランスの、もんのすごーく美形のサッカープレイヤーである。昔ニューカッスルユナイテッドが強かったころ主力の選手で、わたしはパブで中継を見ながらきゃーきゃー言ってたものだった。だからその瞬間ボウイさんのことは頭から吹っ飛び思わず「きゃー!ジノーラジノーラ!」と叫んでしまった。
イマンはまだしゃべっている。「...... これは第三世界の飢餓や貧困に苦しむ人々のためのチャリティ・ライヴです。あなたがたひとりひとりの協力が必要なのです」ソマリア出身のイマンが言うとものすごく説得力がある。「www.netaid.org にアクセスして下さい。そして主旨に賛同してください」言葉に強いアクセントがありちょっと分かり難いが、そのせいでみなかえって集中して耳を傾けているようだ。やがて「さて」と会場を見渡し、「それではお待たせしました、皆さん、ユーリズミックスです!!」と高らかに宣言して、アニーとデイヴのふたりと入れ替わりにイマンとジノーラはステージを去った。