OUTSIDE TOUR(UK)/文:WINTERさん

                      95/11/17 Wembley Arena

★いやあ、凄いっ!!!
今回のライヴを見ての最大の感想は「嗚呼、やっぱりこの人は歌うたいに生まれてきたんだなあ」ってこと。前回見た Sound & Visionツアーと比べても格段に声のテンションが高い。はっきり言って、身震いしてしまいました。"OUTSIDE" でやや失望しているあなたも来日公演には是が非でも行くべし!

★オブジェ的な置物や、テーブル様の飾りものは置いてあるものの、全体としてすっきりとした広大なステージ。
今回のステージングの特徴は、装飾品が主として天井からの吊りものであることであり、曲に合わせて複数の球状のライトや、看板様のもの、カラフルな布などがタイミング良く垂れてきたりと、舞台を3次元的に活用した見せ方が抜群に巧かったのが印象的。

★何という曲か分かりませんが、クラシックの交響曲風のBGMがモリッシーからのセット転換の間から流れ始め、実にゆっくりとクレッシェンドしていく。気がついたら最大音量になっていて、それがクライマックスに達して終了すると同時に客電が落ちる、というオープニング演出。

★バンドはキーボードが3人横に並んでいることもあって、やや人口密度が高いステージとなっている。左端のマイク・ガーソンは主としてピアノ音の担当だが即興風のジャジーな演奏は実に素晴らしかった。ギターのリーブス・ガブレルスは近年のボウイの側近といった感もあるが、実に的確なプレイ。アクションはちょっとだけ Adrian Belew に似ていると思う(^_^;)。
あとはベースの黒人姉ちゃん、ゲイル・アン・ドーシーが特筆に値するだろう。ファンキーでよく歌うベースのみならず、コーラスもばっちりであった。

★"OUTSIDE" からはほぼ全曲を披露。
いずれもアルバムよりもライヴの方がはるかに説得力を増しており「舞台化されるべくして書かれたアルバムなのでは?」という推理をも裏付けるものとなっていた。
特に、もともとメロディラインのはっきりしている "Outside""TheHearts Filthy Lesson" "Hallo Spaceboy"などは過去の名曲達の中でも霞まないだけの輝きを放っていたように思う。実に力強い歌いっぷりだった。全米ツアーではやらなかったという "Strangers When We Meet"もやってくれた(泣)。何となく「90年代の"Heroes"」という位置付けで聴いてしまう自分だったりするが、実にいい曲だと思う。ますます評価した。

★それと同じくらい聴きたかったのが過去の名曲達。いずれもオリジナルとはかなり異なる斬新なアレンジが施され、コーラスに至るまでどの曲か分からないくらい。演奏されたのは "Scary Monsters" "DJ" "Look Back In Anger" "My Death" "Andy Warhol" "The Man Who Sold The World" "Under Pressure" "Boys Keep Swinging" などなど、読んでいるだけでファンはよだれを流しそうな選曲である。

★イントロで大きな歓声があがったのは"My Death"。ひたすら重く救いのない歌だが、ボウイが歌うことによって曲に何とも言えない気品が備わるような気がするのは私だけだろうか。それはほとんど「美しさ」といっても過言ではない。

★"Andy Warhol" は実は Stone Temple Pilots が MTV Unplugged でアコースティックカヴァーしているのを聴いて大好きになった曲だったりする。ボウイのヴァージョンは、ヴァースの部分ではマイクの前に直立し、頬杖をつくポーズを取って微動だにせず歌う。歌の部分が終わるとバックの演奏に合わせてライトが激しく点滅し、彼もそのフラッシュの中で無茶苦茶に手足を振って暴れるが、再び歌に戻るとさっと前のポーズで直立不動になるのだった。

★ラストの曲。静寂を破るようにドラムスが切り込む。「ダッ、ダダッ!」イントロだけで身体が反応するのを止めることができない。おお何てことだ、"Moonage Daydream" だっ!
会場の割れるような歓声をご想像願いたい。95年に、ここロンドンでこの歌。コックニー訛りのボウイはしっかりと「むーねいじ・だいどり~む」と歌ってくれた。何度も繰り返されるリフレインの余韻の中、アンコールなしで予定通り完全に演じきられたステージは幕を降ろしたのだった。

★さて、私はアルバムとライヴとは密接に関連してはいるが、やや別物だと思う。アルバムを製作する行為を「仏を作る」行為だとすれば、ライヴでそれを演じるのは「仏に魂を入れる」行為だと説明すれば分かりやすいか? 無論 Steely Dan のようにアルバム製作時点で「仏に魂を入れ」てしまい、それを再現することに意味を見出さない人々もいるし、仏を作ったはいいがちっとも魂を入れない冴えないライヴばっかりの人々も多い。
でもデヴィッド・ボウイの場合はそのレコードとライヴの相乗作用が最も成功しているアーティストの一例だという気がする。アーティスティックな意味で深いアルバムを作成し、それを舞台("STAGE"というライヴアルバムをリリースしたくらいこだわっている)で演じることにより、作品として提示されたアルバムにはより深いディメンションが加わってさらに音楽的価値が増すような気がするのだ。ここ数年の彼はその辺のバランスをとるのに苦労していたようにも見える。しかし、今回のボウイは半端ではない。アメリカで Nine Inch Nails、イギリスで Morrissey、ヨーロッパでは Cranberriesを前座に据えるというのは下手すりゃ自殺行為だ。ロックンロールの自殺者などと洒落込んでいる場合ではない。だがそれも、要するに自分がどこまで突き抜けてしまったのかをより明らかに見せるための演出だったのかもしれない。事実、ボウイのあまりにも気迫のこもった声、あまりにも英国的なその「声」の前には何物も敵でないという気にさせられたからだ。
こうなれば、どこまでもついていくしかない・・・かもしれない(^_^;)と思わせた、素晴らしいライヴだったとまとめておこう。以上。

     
(YAGI節追記)
Nifty-Serve RockLine リスナーズフォーラムに書かれていた文章です。
お願いして「Cuts Like A Bowie」に転載させていただきました。